幸せを求めすぎてしまうと

幸せ

こんにちは。

心理カウンセラーの佐々木幸太郎です。

夫婦関係の問題で相談に来られる方は
二人の間で意見の食い違いや意見の衝突などが重なって
相手と争っている状態、つまり相手に自分の事を分かってもらえない
相手はもう自分の事を愛してくれていないのではないかという
絶望にも似た気持ちで相談に来られます。

夫婦の間で愛がなくなったと思っているんですね。

自分だけが空回りしているんじゃないか?
自分だけが頑張っているんじゃないか?
もう2人の間は修復できないんじゃないか?
頑張っても無駄なんじゃないだろうか?

などなど、不安がぐるぐる付きまとってとても苦しい状態になっていますよね。

でも本当に愛は無くなっているのでしょうか?

要するに、本当は愛情が「ある」のに、「ない」と思って
何度も何度も繰り返し求めてしまう。

自分の要求する形でなければそれは愛じゃないと
思っているから心が満たされない。

相手の愛は自分の求める愛ではないと思っているから
相手がいくら愛を与えても、もらっていない
それは愛じゃないと否定し続けている。

要するに自分の愛はこれだと執着しているんですね。
相手の愛は愛じゃないと。

こうなるとお互い戦いです。

相手から愛を勝ち取る戦いになってしまいますよね。

戦いになると相手から奪おうとする
くれない相手を責めるということになります。

戦うから、あいては意地でもくれない。

だから、正しさで奪う
力で奪う
法律で奪う
べき主張で奪う
裁判で奪う
不倫にはしる

こうなると戦争ですよね。

戦争では勝利してもお互い深い傷を負ってしまいます。

ではどうすればいいの?

言葉で言うと、簡単です。 

「もとめすぎない」

「くれない相手を、べきで責めない」

「もらえなくても相手を責めない」

「もらえなくても自分を責めない」

これが出来れば苦労しないよって思いますね。
ほんと、そう思います。

でも、本当は愛はそこに既にあると気づくことができれば。。。

ない事に目を向けるのではなく
ある事に目を向けてみる。

今、自分は幸せなんだと気づくこと。

それには、今ある事に感謝すること

すると、じぶんの中にあった「愛」に気づく

求めすぎるから、もらえないだけ。

もらってるのに、さらに求めるから、

相手は、奪われたように感じたり、もうあげられないと言い出すだけ。

愛されてない、認められてないわけではないのに。

すべてをそこに結びつけてしまう。

そんな執着を手放してみませんか?

コメント